すくすく

僕も家族もすくすく育ちますよう願いを込めて日々の記録

のびたはドラえもんに宿題をさせなかった

またAIの話題を書きます。

日本人は昔からロボットに対して身近だと思います。ドラえもんです。

僕も昔から好きでよく見ていたし、今でも子供たちがよく見ている大人気アニメです。

今はテキスト生成AIですが、僕たちが生きている間に、あんな知能を持った(あるいは持ったかのような)ロボットが誕生するのではと期待しています。

教育界を始め、AIに関して悲観的な意見も多く見られますが、結局は使い方の問題です。

僕の大学時代は、インターネットがもう普及してきていたので、大学の課題などの調べ物は今で言う「ググッて」調べて、課題を作成したりしていました。

大学の先生が言うには、コピペで書いたような課題はすぐにわかる!ということで、昔から似たようなことはよくあったはずです。

小学生の読書感想文なんかでも、あとがきを参考にして書く、みたいなことを聞いたことがよくあります。

 

脱線してしまいましたが、タイトルの回収です。

のび太ドラえもんという知能を得ながらも宿題させたり、極端に言うと、自分の人生の代わりをさせませんでした。

事ある毎に「助けて」もらいましたが、自分の人生を自分で生きたのです。(完結してないけどね。)

 

僕は文章を書くのが昔から好きだから読書感想文もすぐに書けるし、誰に命令されるでもないけどこんなブログを書いているし、子供と交換日記的なこともしています。

ブログはスマホで書いているけど、本当は手書きで書きたいくらいです。

それも含めて好きだからです。

 

その反面、仕事ではバリバリITを使います。雑務的なことは嫌いだから、基本的に部下に任せます。スパッと任せます。

業務分担ではありますが、それは嫌いだからでしょうね。

AIがどうなろうと、好きなことは続けるし、AIはきっと僕よりも素晴らしい文章を書くでしょうし、そのうち芥川賞なんかを受賞したりするのかもしれません。

碁の世界で人間を打ち負かす性能が出てきても、碁を打つ人はいなくなりません。

好きだから、その一言で終わりなのでしょう。

 

自分の人生を生きることに対し、自分より上手くできる人に代わりにやってもらうことはできないし、のび太だって望みません。

自分を愛し、自分の人生を誰もが謳歌するその隣に、ドラえもんが未来にいてくれたらと思います。